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金スマ 坂上忍 心から愛して心から憎んだ父 [テレビ]

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3月28日、「金スマ」に、毒舌キャラで大ブレイク中の坂上忍さんが登場。
坂上さんの人格形成に多大な影響を与えたであろう父親について、放送していました。


坂上さんは1967年杉並に生まれます。
新聞記者の父親とパート勤務の母親。
4歳上の兄は劇団に所属していました。


物書きの父の姿は強烈で
家でも原稿に向かい、万年筆を走らせている姿は坂上さんの憧れでした。


引っ込み思案の性格をかえたくて、母親は坂上さんを劇団に入れようとしますが
普通の生活をさせたいと父親は反対します。


父親の反対を押し切り入った劇団には1期上には杉田かおるさん。
同期には「山口さんちのつとむ君」を歌った斉藤こずえさんがいました。


坂上さんが4歳の時、「下町かあさん」で子役デビュー。
6歳のときに出演した「ありがとう」は最高視聴率56、3%を獲得し
国民的ドラマとなりました。


9歳で出演した「たんぽぽ」の最終回で、坂上さんが息を引き取る演技は涙を誘い
天才子役と称され、子役ブームの時代の一員を担います。


学校に行けない、友達と遊べないという生活が続き
小学校6年生の2学期には撮影で2か月トンガに行き
通知表は評価がつけられないということで、斜線がひかれました。


父親は今からでも芸能界をやめさせて普通の生活を送らせたいと望みましたが
母親はそのまま俳優を続けさせました。


父親は出版会社を設立、自分でも小説を書き始めます。
坂上さんは家に帰ると書斎に行き、物を書く父親の背中をいつまでも見ていました。


父親は国語の授業のかわりに本を読めとすすめ、坂上さんはたくさんの本を読みます。
ここで得た読解力は、キャラクターの心情を深く理解して、役を演じることにつながりました。


数学のかわりにマージャンをやれとの父の教えで
坂上さんはマージャンをするようになります。


父親は下駄を履きバンダナを巻いた格好で外出。
寿司屋にもその格好のまま、坂上さんを連れて行ってくれました。


自分の父親は他の人とは違うと嬉しく思い
坂上さんはかなりのファザコンに育ちました。


中学生になった坂上さんが帰宅すると
家の前には典型的なチンピラの格好をした借金取りが来ていました。


坂上さんに気付いた男たちは「おっ、坂上忍だ。もうちょっとちゃんと仕事しろ」と詰め寄り
怖くて震えたそうです。


母親にどこかへ行くよう促され、数時間経って帰宅すると
家の中の家財度具は全て運び出され、もぬけの殻になっていました。


それから数日たち、夜中に母親の悲鳴を聞いて階下に降りようとすると
兄に「行くな」と引き止められました。


腕をふりほどいて1階の部屋を覗いてみると
父親に暴力をふるわれて血だらけになった母親がいました。


父親が設立した会社は2年で倒産し、保証人にもなっていため、1億円の借金を抱えていました。
さらに父親は坂上さんのギャラにも手を出し、ギャンブルにお金をつぎこんでいました。


当時高校生になっていた兄は母親の相談にのり、離婚するよう薦めたのですが
国民的子役の坂上さんに傷を付けるわけにはいかないと、母親は我慢していたそうです。


母親は昼間は内職、夜はスナックで働きますが借金は返せず
坂上さんは芸能界で働き続けるしかありませんでした。


それでも父親はギャンブル三昧。
そのうち、坂上さんの同級生の母親と不倫をしてしまいます。


坂上さんは1億円の借金を背負うことを決意して母親を離婚させ
父親は家を出ていきました。


1億円の借金は坂上さんの仕事への原動力となり、好きでもない役者の仕事にしがみつかせます。
坂上さんは25歳で借金を完済しました。


借金を返し終え、もともと俳優という仕事に情熱をもてない坂上さんは
父親と同じギャンブルにはまってしまいます。


ある日母親から、「父親が会いたがっているがどうする?」と電話があります。
会うわけないだろうとつっぱねますが、今あいつは何をしているのか母親に聞いてみると
「小説を書いているらしいわよ」、ということを聞き、呆れながらもホッとしました。


しかしその後、偶然友人と入った焼鳥屋で、鳥を焼いている父親の姿を見て
その場を立ち去ります。
「小説を書いているんじゃなかったのか、情けない」と涙が止まりませんでした。


数か月後、父親が再び会いたいと言っているとの電話があり
「じゃあ会うよ、でも寿司屋であいつがおごるという条件ならいいよ」と母親に伝えます。


昔、下駄にバンダナという恰好で自分を寿司屋に連れて行ってくれたあの時の父親は
坂上さんの憧れだったのです。


13年ぶりに寿司屋で再会した父親の姿は、老いぼれてはいても父は父でした。
ぎこちないながらも、親子4人で寿司を食べました。


トロを頼む坂上さんに、「お前もそういうことを言うようになったのか」と感慨深く頷く父親に
懐かしい気持ちが少し湧きました。


なんだか優しい気持ちになってお店を出ると、母親の姿がありません。
店に戻ってみると、会計をしている母親がいました。


その時、血管が30本、ブチブチっと切れたと、坂上さんは表現していました。
どこまで情けない奴なんだと父親を殴り倒し、再び絶縁状態となります。


その後父親の出版記念パーティーに義理で出席しますが
関係修復とはなりませんでした。



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28歳の時、坂上さんは事故を起こし、謹慎生活を送ります。
その時父親から電話があり、「大変だったな、暇なら小説書いてみろよ」とアドバイスを受けます。


そんなの書けねえよ、と言うと、「そうか、お前なら書けると思ったのにな」と
父親は告げ、電話を切りました。


坂上さんは他にすることもないし、暇つぶしにと、夢中でペンを走らせ
翌年の1996年、『みのつく女』を出版。
その後、映画や舞台の脚本を手掛けます。
気付いてみると、父親と同じギャンブルの道、物書きの道へと進んでいました。


2012年、父親が死んだと連絡があり、「葬式行くでしょ?」と母親に言われますが
夜通し考えた挙句、俺は行かないと、電話で断ります。


2013年8月、TBS「謝りたい人がいます」という番組で
坂上さんは初めて墓参りをしました。


父親の墓に好きだった焼酎「白波」を入れたコップを二つ置き
一つを坂上さんが飲みました。


 「ちょっと意地張り過ぎたかな~。
  いい思い出、嫌な思い出、両方たくさんくれた人」

 「もっと早く来ようと思えば来れた。
  だいぶ時間が経ってしまい、申し訳ございませんでした」

 「そっちでは、借金をしない程度に 
  楽しんで下さい」


ボソボソッと、墓前に語りかける坂上さんでした。



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全力教室 坂上忍 視聴者の反応 

全力教室 坂上忍 嫌な奴だと思っていたのにいい人だった







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